エジプトを訪れる際、あるいはエジプトに関する報道や映像を見るとき、多くの女性が髪を覆うスカーフ、すなわち「ヒジャブ」を着用している姿が目に入ります。この光景を見て、「エジプトではヒジャブの着用は法律で強制されているのだろうか?」「イスラム教の国だから、女性は皆ヒジャブをしなければならないのだろうか?」といった疑問を抱く方も多いかもしれません。
しかし、エジプトの服装事情は、私たちが漠然と抱くイメージほど単純ではありません。この記事では、現代エジプトにおけるヒジャブの法的な位置づけ、ヒジャブが持つ宗教的・社会的な意味、そして時代とともに変化するファッションのトレンドについて、深く掘り下げて解説します。また、観光客、特に女性がエジプトを訪れる際にどのような服装を心がけるべきか、具体的なマナーについてもご紹介します。
この記事を読むことでわかること
- エジプトにおけるヒジャブ着用の法的な義務の有無
- ヒジャブがイスラム教において持つ本来の意味と目的
- 現代のエジプト女性がヒジャブを選ぶ多様な理由
- 旅行者がエジプト、特にモスクなどを訪問する際の適切な服装マナー
ヒジャブとは何か?イスラム教における服装の概念
ヒジャブの定義とイスラム教における目的
「ヒジャブ」とは、アラビア語で「覆うもの」「遮るもの」を意味する言葉です。一般的には、イスラム教徒の女性が髪や首元を覆うために使用するスカーフを指す言葉として広く知られています。しかし、本来のイスラム教における「ヒジャブ」は、単なるスカーフの一片を指すのではなく、より広範な概念、すなわち「慎み深さ」や「謙虚さ」を示す服装規定全体、さらには男女間の節度ある態度や行動様式を指すこともあります。
イスラム教において、ヒジャブの主な目的は、女性が自らの美しさを近親者(夫、父、兄弟など)以外の男性の視線から守り、公共の場での品位と敬意を保つことにあると解釈されています。これは、女性を抑圧するためではなく、むしろ女性を性的な視線から保護し、その内面的な価値や知性によって社会的に評価されることを促すため、という側面が強調されます。
コーランにおける服装に関する記述
ヒジャブの根拠とされるのは、イスラム教の聖典であるコーラン(クルアーン)の記述です。コーランには、男女双方に対して慎み深い服装を求める記述がいくつか見られます。
特に女性に関しては、「自分の美(ズィーナ)を(近親者など)以外に現してはならない。また、ヴェール(ヒマール)を胸元まで垂らしなさい」(第24章31節より要約)といった一節があります。この「ヒマール」が現代のヒジャブ(スカーフ)に相当すると解釈されています。ただし、この記述が具体的に「髪を完全に覆うこと」を必須としているのか、あるいはどの程度の範囲を覆うべきかについては、イスラム法学者や宗派の間でも多様な解釈が存在し、一様ではありません。この解釈の多様性が、国や地域、個人のヒジャブ着用スタイルの違いに繋がっています。
ヒジャブ、ニカブ、ブルカの違い
「ヒジャブ」と混同されやすいものに、「ニカブ」や「ブルカ」があります。これらはすべてイスラム教徒の女性が用いるヴェールですが、覆う範囲が異なります。
- ヒジャブ (Hijab): 最も一般的に見られるスタイルで、髪と首を覆うスカーフです。顔は露出されます。エジプトで最も多く見られるのがこのスタイルです。
- ニカブ (Niqab): 顔を覆うヴェールで、目だけを露出させるか、目元も薄い布で覆う場合があります。ヒジャブと組み合わせて着用されることが多く、サウジアラビアなど、より厳格な解釈が主流の地域で見られます。エジプトでも、非常に敬虔な女性や特定のグループの間で着用されることがあります。
- ブルカ (Burqa): 目の部分だけが網状になっているか、あるいは完全に頭から足元まで全身を覆う衣服です。主にアフガニスタンなどで見られるスタイルで、現代のエジプトでブルカを着用している人はほとんど見かけません。
エジプトで主流なのは、あくまで顔を出す「ヒジャブ」であり、これらの違いを理解することは、エジプトの服装文化を正しく認識するために重要です。
エジプトにおけるヒジャブ着用の実態
エジプトではヒジャブ着用は法律で強制されているのか?
この疑問に対する答えは、明確に「いいえ」です。現代のエジプトにおいては、ヒジャブの着用を女性に義務付ける法律は存在しません。イランやサウジアラビア(サウジアラビアも近年変化しています)など一部のイスラム諸国とは異なり、エジプトの法律は世俗主義に基づいており、個人の服装は基本的に自由とされています。
したがって、ヒジャブを着用するかしないかは、個人の選択に委ねられています。カイロなどの都市部では、ヒジャブを着用している女性と、着用せずに髪を出している女性が、同じ職場や大学、カフェで共に過ごしている光景はごく日常的なものです。エジプトは、中東の中では比較的自由な服装文化を持つ国の一つと言えます。
なぜ多くのエジプト女性はヒジャブを選ぶのか
法律的な強制がないにもかかわらず、なぜエジプトでは多くの女性がヒジャブを着用しているのでしょうか。その理由は一つではなく、非常に多様な要因が絡み合っています。
- 宗教的な信仰: 最も大きな理由は、コーランの教えに従うという純粋な宗教的信仰です。神(アッラー)の教えに従い、慎み深さを保つために自発的に着用を選ぶ女性が多数派です。
- 社会的な規範とプレッシャー: 法律はなくとも、「イスラム教徒の女性はヒジャブを着用するのが望ましい」という社会的な規範や、家族、親戚、近隣コミュニティからの同調圧力(プレッシャー)が存在する場合があります。特に地方や保守的な家庭環境では、その傾向が強くなります。
- アイデンティティの表明: イスラム教徒としてのアイデンティティや誇りを視覚的に示すため、という側面もあります。
- 保護と敬意: 公共の場で男性からの不必要な注目やハラスメントを避け、他者からの敬意を得るための「盾」として機能するという、実用的な側面で選ぶ女性もいます。
- ファッションとしての側面: 近年では、ヒジャブは単なる宗教的な装いを超え、ファッションアイテムとして進化しています。カラフルなスカーフ、洗練された巻き方、ヒジャブに合わせたトータルコーディネートを楽しむ「ヒジャビスタ(ヒジャブ・ファッショニスタ)」と呼ばれる女性たちも増えています。
着用率の地域差と社会階層による違い
エジプト国内でも、ヒジャブの着用率は一様ではありません。一般的に、いくつかの傾向が見られます。
- 都市部 vs 地方: カイロやアレクサンドリアといった大都市部では、着用していない女性の割合が比較的高いのに対し、ナイル川上流の農村部や保守的な地域では、着用率が非常に高くなる傾向があります。
- 社会階層: 一概には言えませんが、カイロ市内でも、富裕層が多く住む地域や西洋文化の影響が強いコミュニティでは着用率が低く、庶民的な地区や伝統を重んじるコミュニティでは高い、といった傾向が見られることがあります。
- 世代: 若い世代の中には、あえてヒジャブを着用しない選択をする女性や、逆に上の世代よりもファッショナブルにヒジャブを着こなす女性など、多様化が進んでいます。
このように、エジプトのヒジャブ事情は、法律ではなく、個人の信仰、社会環境、世代、そしてファッション感覚が複雑に絡み合って形成されています。
観光客が知っておくべきエジプトの服装マナー
旅行者(女性)はヒジャブを着用する必要があるか?
結論から言うと、観光客の女性がエジプトでヒジャブを着用する必要は一切ありません。エジプトの人々は、外国人観光客がイスラム教徒でないことを理解しており、服装が異なること(髪を出していること)に対して非常に寛容です。無理にヒジャブを着用すると、かえって不自然に見えたり、意図しない誤解を招いたりする可能性すらあります。
ただし、イスラム文化への敬意として、そして自分自身の安全や快適さのために、推奨される服装のマナーは存在します。
イスラム教寺院(モスク)訪問時の服装ルール
エジプト国内のモスク(イスラム教寺院)を訪問する際は、例外です。モスクは神聖な祈りの場であり、観光客であっても、定められた服装規定に従う必要があります。
- 女性: 髪、首、肩、腕(少なくとも肘まで)、足(くるぶしまで)を隠す必要があります。多くの主要な観光モスクでは、入口で訪問者用のスカーフ(ヒジャブの代わり)や、体を覆うゆったりしたガウン(アバヤ)を無料で貸し出しています。
- 男性: 肩(タンクトップは不可)や膝が隠れる服装(短パンは不可)が求められます。
- 共通: モスクの内部に入る際は、必ず靴を脱ぎます。
これらのルールは、イスラム教徒でない訪問者も必ず守らなければならないマナーです。
現地で浮かないための「控えめな服装」とは
モスク訪問時以外でも、エジプトの一般の場所(市場、公共交通機関、地方都市など)では、現地の文化に配慮した「控えめな服装」を心がけることが推奨されます。これは、トラブルを避け、快適に旅行を楽しむための知恵でもあります。
- 推奨される服装:
- 肩や腕の露出が少ないトップス(Tシャツは問題ありませんが、キャミソールやタンクトップは避けるのが無難です)
- 膝が隠れる長さのスカート、ドレス、またはパンツ
- 体のラインが出過ぎない、ゆったりしたデザイン
- 日差しが強いため、薄手の長袖シャツやストールは、日焼け対策としても非常に有効です。
- 避けた方が良い服装:
- 過度な露出(胸元が大きく開いた服、お腹が出る服、極端に短いショートパンツやミニスカート)
- 体のラインがくっきりと出る、タイトすぎる服装
エジプトは観光立国であり、リゾート地(紅海沿いのシャルム・エル・シェイクやハルガダなど)のプライベートビーチやホテル内では、欧米の基準で服装をしても全く問題ありません。しかし、カイロ市内や遺跡を観光する際は、上記のような「控えめな服装」を意識することで、現地の人々からの敬意も得られ、より安心して旅を楽しむことができるでしょう。
まとめ:エジプトとヒジャブの多面的な関係
- ヒジャブは、イスラム教徒の女性が髪や首を覆うスカーフを指すことが多い。
- 本来は「慎み深さ」を示す服装や態度の概念も含む。
- 根拠はコーランの記述にあるが、解釈は多様である。
- ニカブ(目以外を覆う)やブルカ(全身を覆う)とは異なる。
- エジプトで最も一般的なのは、顔を出すヒジャブである。
- エジプトでは、ヒジャブの着用を義務付ける法律は存在しない。
- ヒジャブの着用は、個人の自由な選択に委ねられている。
- 多くの女性が着用する理由は、宗教的信仰が最も大きい。
- 社会的な規範やプレッシャーが影響する場合もある。
- イスラム教徒としてのアイデンティティを示す目的もある。
- 男性からのハラスメントを避ける実用的な側面もある。
- 近年はファッションアイテムとしての側面も強まっている。
- ヒジャブの着用率は、都市部より地方の方が高い傾向にある。
- 社会階層や世代によっても、着用に対する意識は異なる。
- 外国人観光客(女性)がヒジャブを着用する必要は一切ない。
- エジプトの人々は外国人観光客の服装に寛容である。
- 例外として、モスク(イスラム教寺院)訪問時は服装規定がある。
- モスクでは女性は髪、肌(肩、腕、足)を隠す必要がある。
- 男性も肩や膝を隠す必要がある(短パン不可)。
- 一般の場所では「控えめな服装」が推奨される。
- 過度な露出(キャミソール、短パンなど)は避けるのが無難。
- 薄手のストールや長袖は、日焼け対策としても有効である。
- リゾート地のホテル内では服装の自由度は高い。
エジプトのヒジャブ事情を理解することは、現地の文化や人々の価値観に敬意を払うことに繋がります。服装のマナーを守り、快適で実りあるエジプトの旅を楽しんでくださいね。


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