「エジプト」と聞くと、ピラミッドやスフィンクスと共に、妖艶な「ダンス」を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。特に「ベリーダンス」はエジプトを代表するダンスとして世界的に有名です。
しかし、エジプトのダンス文化は、それだけにとどまらない奥深い歴史と多様性を持っています。古代エジプトの壁画にまで遡るダンスの起源から、現代に受け継がれる様々な民族舞踊、そしてエジプト社会におけるダンスの役割まで、その魅力は計り知れません。
この記事では、エジプトのダンスに関する包括的な知識を提供し、「エジプトのダンス=ベリーダンス」というイメージを覆す、豊かで奥深い踊りの世界を徹底的に解説します。
この記事を読むことでわかること
- 古代エジプト文明におけるダンスの重要性と役割
- 「ベリーダンス」と呼ばれるエジプトのダンスの正確な名称と背景
- エジプト各地に伝わる多様な民族舞踊(フォークロア・ダンス)の種類と特徴
- 現代のエジプト社会におけるダンスの現状と文化的な意義
古代エジプト文明とダンスの密接な関係
エジプトにおけるダンスの歴史は古く、その起源は古代エジプト文明の黎明期にまで遡ります。現代の私たちがイメージするエジプトのダンスとは異なるものの、ダンスは当時の社会において極めて重要な役割を果たしていました。
壁画に描かれた古代の踊り
古代エジプトの墓の壁画や神殿のレリーフには、ダンスを踊る人々の姿が数多く記録されています。これらの描写は、当時の社会においてダンスがいかに生活に密着していたかを示唆する貴重な資料です。
壁画に見られるダンサーたちは、しばしばグループで、あるいはペアで描かれ、そのポーズはリズミカルで統制が取れています。手や腕の動き、体のしなやかな曲線は、特定の様式化された美意識に基づいていたと推測されます。これらの古代エジプトのダンスは、単なる娯楽ではなく、物語を伝えたり、儀式を執行したりするための手段でもありました。アクロバティックなブリッジや開脚を伴うダンスも描かれており、高度な身体技術が要求される踊りも存在したことがうかがえます。
宗教儀式におけるダンスの役割
古代エジプトにおいて、ダンスは神々を崇拝し、宗教的な儀式を執り行う上で不可欠な要素でした。特定の神殿には専属のダンサーや音楽家がおり、神聖な儀式の中で踊りを奉納していました。
例えば、豊穣と愛の女神ハトホルに捧がられるダンスは、生命の再生と喜びを象徴する重要な儀礼でした。神殿の女性神官たちが鏡を手に持って踊る姿も描かれており、これは神聖な光を反射させ、邪悪なものを払うという意味合いがあったと考えられています。また、葬儀の際にも、故人を偲び、来世への安全な旅立ちを助けるための一種の儀礼的なダンスが存在したことが知られています。これらのダンスは、神々と人間、あるいは生者と死者とを繋ぐコミュニケーションの手段として機能していました。
祝祭と日常生活の中のダンス
宗教儀式だけでなく、古代エジプトの人々は祝祭や宴会、さらには日常生活の様々な場面でダンスを楽しんでいました。ナイル川の氾濫を祝う収穫祭や、ファラオ(王)の即位を祝う祝典などでは、大規模なダンスが披露されたことでしょう。
宴会の席では、アクロバティックな動きを取り入れたダンスや、楽器の演奏と共に披露される優雅な踊りが、ゲストを楽しませるために行われました。労働の合間にリズミカルな動きで疲れを癒やすような、より世俗的なダンスも存在したと考えられています。このように、エジプトにおけるダンスの文化は、神聖なものから世俗的なものまで、社会のあらゆる側面に深く根付いていたのです。
ダンスを支えた古代の音楽と楽器
古代エジプトのダンスは、常に音楽と密接に結びついていました。壁画には、ダンサーと共に様々な楽器の演奏者が描かれています。これらの音楽が、ダンスのリズムや雰囲気を決定づけていました。
代表的な楽器としては、神聖な儀式でよく用いられた「シストルム」と呼ばれる金属製のガラガラ(振って音を出す楽器)があります。これは特にハトホル女神の儀式と関連が深いです。また、ハープやリュート(弦楽器)、葦笛(管楽器)、さらにはタンバリンに似た枠太鼓や両面太鼓(打楽器)など、多種多様な楽器が使用されていました。音楽家とダンサーは緊密に連携し、複雑なリズムとメロディーに合わせて、高度に体系化されたダンス・パフォーマンスを創り上げていたと想像されます。
世界を魅了するエジプトのダンス「ラクス・シャルキ」
一般的に「ベリーダンス」として世界中に知られているダンスは、エジプトでは特定の呼称で呼ばれています。このダンスはエジプトのダンス文化を代表する存在であり、その発展にはカイロの都市文化が大きく影響しています。
「ベリーダンス」という呼称と「ラクス・シャルキ」
私たちが「ベリーダンス」と呼ぶダンスは、エジプトでは「ラクス・シャルキ」(Raqs Sharqi)と呼ばれます。これはアラビア語で「東方の踊り」または「オリエンタル・ダンス」を意味します。
「ベリーダンス(Belly Dance)」という呼称は、19世紀に欧米の旅行者たちがこのダンスを初めて見た際、特に腹部(Belly)や腰の動きが印象的だったことから名付けられた俗称であるとされています。ラクス・シャルキは、エジプトの伝統的なダンスが、西洋のバレエやショービジネスの要素を取り入れて洗練された、舞台芸術としての側面が強いダンス・スタイルです。特に上半身の優雅な動きや、空間を大きく使った移動(トラベリング・ステップ)にその影響が見られます。
生活に根ざした踊り「バラディ」
ラクス・シャルキとしばしば比較されるのが「バラディ」(Baladi)です。バラディは「故郷の」や「土着の」といった意味を持ち、より庶民的で即興性の高いダンス・スタイルを指します。
これはエジプトの人々が家庭や地域の集まり、結婚式などで自然に踊る、生活に根ざしたダンスです。ラクス・シャルキが華やかな衣装で舞台上で演じられるのに対し、バラディはよりリラックスした服装(例えば「ガラベーヤ」と呼ばれる伝統的なワンピース状の衣服)で、地面をしっかりと踏みしめるような動き(アーシーと呼ばれる)と、内面的な感情表現が重視される傾向にあります。
エジプト映画黄金期とダンスの発展
20世紀初頭から中盤にかけて、カイロは中東のエンターテイメントの中心地として栄えました。特にエジプト映画の黄金期(1940年代~1960年代)には、多くのダンス・シーンが映画に取り入れられました。
サミア・ガマール(Samia Gamal)やタヒア・カリオカ(Tahia Carioca)といった伝説的なダンサーたちは、映画スターとして絶大な人気を博し、ラクス・シャルキのスタイルを確立させました。彼女たちは、エジプトの伝統的なダンスに、ラテンダンスやバレエの要素を融合させ、このエジプト発祥のダンスを世界的な芸術の域にまで高めたのです。この時期に、大規模なオーケストラ伴奏によるダンス音楽も発展しました。
ラクス・シャルキの衣装(コスチューム)の変遷
ラクス・シャルキの視覚的な魅力を高めているのが、その特徴的な衣装(コスチューム)です。現在「ベリーダンス」の衣装として広く認識されている、ブラとスカート(あるいはベルト)が分かれたセパレートタイプのきらびやかな衣装は、「ベドラ」(Bedlah)と呼ばれます。
このスタイルは、伝統的なエジプトの衣装ではなく、20世紀初頭のカイロのキャバレー文化や、ハリウッド映画が描く「オリエント」のイメージに影響を受けて誕生したとされています。それ以前は、バラディ・ドレスのように体を覆う範囲が広い衣装が一般的でした。現代のエジプトのダンサーたちは、この古典的なベドラ・スタイルに加え、よりモダンで洗練されたデザインのドレスや、あえて伝統的なガラベーヤをアレンジした衣装など、曲の雰囲気やテーマに合わせて多様なコスチュームを使い分けています。
多様性に富むエジプトのフォークロア(民族舞踊)
エジプトのダンス文化の豊かさは、ラクス・シャルキだけでは語れません。ナイル川流域の北から南まで、また砂漠のオアシスに至るまで、エジプト国内には地域ごとに特色ある多様な民族舞踊(フォークロア・ダンス)が今なお力強く受け継がれています。
上エジプトの力強い踊り「サイーディ」
エジプト南部(上エジプト)のサイード地方に伝わるダンスが「サイーディ」(Saidi)です。この地域は、伝統的に男性の気質が誇り高いとされる場所であり、そのダンスにも力強さが反映されています。
男性はしばしば「アサヤ」と呼ばれる竹製の杖(スティック)を持って勇壮に踊ります。このダンスは、「タフティーブ」(Tahtib)と呼ばれる伝統的な棒術(武術)に基づいているとも言われ、非常にエネルギッシュでリズミカルなのが特徴です。男性はゆったりとしたガラベーヤの上にベストを羽織ることが多く、頭にはターバンを巻きます。女性もサイーディを踊りますが、その場合は杖を使いつつも、より女性らしい優雅さやコケティッシュな魅力が表現されます。
神秘的な回転舞踊「タンヌーラ」
エジプトのダンス・パフォーマンスとして、観光客にも非常に人気が高いのが「タンヌーラ」(Tanoura)です。これは、イスラム教神秘主義(スーフィズム)の儀式に由来するダンスで、スーフィー・ダンスの一形態です。
男性のダンサーが、「タンヌーラ」と呼ばれる重層的で色鮮やかなスカートを着用し、長時間にわたってひたすら回転し続けます。この回転は、宇宙との一体化や神への接近を目指す瞑想的な行為とされています。単なる回転だけでなく、タンバリンのような楽器(サガートやタール)を使いながらリズミカルなパフォーマンスを織り交ぜることもあります。カイロの歴史地区などで、この伝統的なダンス・パフォーマンスを観賞することができ、その神秘的な光景は観る者を圧倒します。
ヌビア地方の陽気な踊り
エジプト南部、アスワンよりさらに南のスーダンとの国境に近いヌビア地方にも、アフリカ文化の影響を色濃く受けた独自の豊かなダンス文化が存在します。
ヌビアン・ダンスは、独特の陽気なリズムと手拍子、そして集団で踊るフォーメーションが特徴です。ナイル川の自然や日々の暮らし、例えば漁や水汲みの動作などを模した動きが多く取り入れられています。男女が一緒に踊ることも多く、コミュニティの一体感を強める役割も担っています。白や色鮮やかな衣装をまとい、喜びを全身で表現するこのダンスは、エジプトのダンスの中でも特に明るく平和的な雰囲気に満ちています。
オアシスや沿岸部の多様なダンス
広大な砂漠地帯に点在するオアシスや、地中海沿岸部にも、カイロやナイル川流域とは異なる独自のダンス文化が存在します。
例えば、リビア国境に近いシワ・オアシスでは、ベルベル系の文化を背景に持つ、手拍子と歌を中心とした独特のダンスが伝わっています。結婚式などの祝祭の場で、男性が集団で踊る力強いダンスなどが見られます。 一方、北部の地中海沿岸都市、特にアレクサンドリアやポートサイドでは、港町特有の文化を反映したダンスがあります。「バンブーティ」(Bambouti)と呼ばれるダンスは、船乗りや漁師の生活をユーモラスに表現したもので、スプーンをカスタネットのように打ち鳴らしながら踊るのが特徴です。
まとめ
エジプトのダンスの世界は、私たちが想像する以上に深く、多様性に満ちています。最後に、この記事の要点をまとめます。
- エジプトのダンスの歴史は古く、古代エジプト文明の壁画にもその姿が描かれている。
- 古代エジプトにおいて、ダンスは宗教儀式、祝祭、日常生活の重要な要素であった。
- 神殿ではハトホル女神などに捧げるための神聖なダンスが踊られていた。
- 古代のダンスは、シストルム、ハープ、笛、太鼓などの楽器演奏と密接に結びついていた。
- 一般的に「ベリーダンス」と呼ばれるダンスの正式名称の一つは「ラクス・シャルキ」である。
- 「ラクス・シャルキ」はアラビア語で「東方の踊り」を意味する。
- 「ベリーダンス」という呼称は、欧米人が腹部の動きに着目して名付けた俗称とされる。
- ラクス・シャルキは、エジプトの伝統的な踊りに西洋の要素が加わり、舞台芸術として発展したダンスである。
- 「ベドラ」と呼ばれるセパレートタイプの衣装は、ハリウッド映画などの影響で20世紀に確立された。
- 「バラディ」は「故郷の」を意味し、エジプトの庶民の生活に根ざした、より即興的なダンス・スタイルを指す。
- 20世紀のエジプト映画黄金期は、ラクス・シャルキの発展に大きく貢献した。
- エジプトにはラクス・シャルキ以外にも、豊かな民族舞踊(フォークロア・ダンス)が存在する。
- 上エジプト(南部)には「サイーディ」と呼ばれる力強いダンスがある。
- サイーディは「アサヤ」と呼ばれる杖(スティック)を使うのが特徴である。
- 「タンヌーラ」は、イスラム教神秘主義(スーフィズム)に由来する回転舞踊である。
- タンヌーラは、神との一体化を目指す瞑想的なダンスとされる。
- エジプト南部のヌビア地方には、アフリカ文化の影響を受けた陽気なヌビアン・ダンスがある。
- ヌビアン・ダンスは、ナイル川の暮らしや喜びを表現する集団舞踊である。
- シワ・オアシスなど砂漠地帯には、ベルベル文化系の伝統的なダンスが残っている。
- アレクサンドリアなど沿岸部には、「バンブーティ」のように船乗りの生活を反映したダンスもある。
エジプトのダンスについて、少しでも新たな発見があれば幸いです。あなたの知的好奇心が満たされることを願っています。



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